Ayat-Origami

2-2 今を生きるとは

『マッジマ・ニカーヤ』(漢訳名『中阿含経』)は、釈迦が説いた言葉を最も近い形で残しているといわれる原始仏教聖典のひとつです。以下の詩は、そのなかの有名な一節で、「今を生きる」ことが説かれています。

マッジマ・ニカーヤ(中阿含経)131

過去を追うな
未来を願うな
過去はすでに捨てられた
そして未来はまだやってこない
だから現在のことがらを
それがあるところにおいて観察し
揺らぐことなく動ずることなく
よく見きわめて実践せよ
ただ今日なすべきことを熱心になせ
誰か明日の死のあることを知らん

つまり、釈迦は、「過去に執着せず、未来に煩わされず、ただ今を生きろ」と説いています。般若心経が、「空」を説くことによってすべての実在を否定した目的もまた、そのように、いかなる執着からも離れて今を生きる観音さまの姿を示すことにありました。
次の歌詞もまた、まさに「今を生きる」若者に向けられた、まるで観音さまを代弁しているかのような、強烈な、「今を生きる」ためのメッセージです。
私たちは、いつかやるつもりと思っていても、結局はやり残したまま、当たり前の毎日を繰りしてしまいます。しかし、私たちは、時には空を見上げることによって、青空に気づくことができます。出しっぱなしにしていた水の重さに、気がつくことができるのです。そうすれば、私たちの心から礙も恐怖も消え、一切の誤った考えから開放されるのです。
過去や将来のことばかり考え、今をおろそかにしてはいけません。過去の失敗にいくら悩んでも、私たちは、過去を変えることはできません。未来の成功をいくら願ったとしても、未来はまだ見ぬ幻想でしかありません。私たちができることは、ただ今日なすべきことをなすことだけなのです。
『誰か明日の死のあることを知らん』
昨日も今日も青空だったからといって、明日も青空になるとは限りません。過ぎ去った青空は、もう帰ってはきません。この次の青空がいつなのか、私たちには分かりません。だからこそ私たちは、今、できることをやるのです。
『揺らぐことなく、動ずることなく』

秋元康 何度目の青空か? (2014.10). 乃木坂46

1つ目の気づき・・・「何だってできる」
(現在のことがらを、それがあるところにおいて観察せよ)
 
1 校庭の端で反射してた
2 誰かが閉め忘れた蛇口
3 大事なものがずっと
4 流れ落ちてるようで
5 風に耳を塞いでた
6 僕の心の片隅にも
7 出しっ放しの何かがあるよ
8 このままじゃいけないとそう気づいていたのに
9 見ないふりをしていたんだ
10 膨大な時間と
11 何だってできる可能性
12 自由はそこにある
13 何度目の青空か?
14 数えてはいないだろう
15 陽は沈みまた昇る
16 当たり前の毎日
17 何か忘れてる
18 何度目の青空か?
19 青春を見逃すな
20 夢中に生きていても
21 時には見上げてみよう
22 (晴れた空を)
23 今の自分を無駄にするな

2つ目の気づき・・・「永遠は短い」
(未来を願うな、未来はまだやってこない)
 
24 蛇口の水に触れてみたら
25 その冷たさに目を覚ましたよ
26 ほとばしる水しぶき 与えられた命は
27 掌に重たかった
28 いつかやるつもりと
29 頭の中で思ってても
30 永遠は短い
31 何度目の青空か?
32 数えてはいないだろう
33 陽は沈みまた昇る
34 当たり前の毎日
35 何か忘れてる
36 何度目の青空か?
37 青春を見逃すな
38 夢中に生きていても
39 時には見上げてみよう
40 (晴れた空を)
41 今の自分を無駄にするな

3つ目の気づき・・・「今を生きるんだ」
(揺らぐことなく動ずることなく、ただ今日なすべきことを熱心になせ)
 
42 目を閉じてみれば聴こえて来るだろう
43 君が出しっ放しにしてる音
44 僕らも空も晴れだけじゃない
45 この次の青空は
46 いつなのかわからない
47 だから今 空見上げ 何かを始めるんだ
48 今日できることを…
49 この次の青空は
50 自分から気づくだろう
51 涙が溢れてても
52 太陽は滲まないさ
53 (ちゃんと見れば)
54 君はもっと強くなれるよ
55 今を生きるんだ
56 (時は流れても)
57 僕は流されない

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