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般若心経のすすめ

Prajna Paramita hrdaya

般若心経とは何か

私たち日本人にとって、般若心経の「色即是空」はあまりにも有名なフレーズですが、その意味を説明できる人は、そうは多くない気がします。「色(=かたちあるもの)」と「空(=実体がないもの)」とは、一般的には正反対の概念で、本来は相容れないものです。この二つの概念を同一のものとして結びつけたところに、大乗仏教の恐るべき智慧が隠されています。西暦紀元前後のインドで大乗を名乗る仏教徒たちは、その生涯をかけて、無常・苦・無我を洞察する瞑想によって、そして、智慧の光に依り無明を破ることによって、言葉を超えた「空」の世界を垣間見ようと試みてきました。
ところが私たち日本人は、なぜ「色は空なり」と言えるのか、ほとんど疑問を抱かないまま誰もがごく自然に、「無の境地とはおそらくそのようなものであろう」と簡単に受け入れてしまいます。それはまるで、かつてのインドの仏教徒たちがその生涯をかけて体得した境地を、私たち日本人はそのまま種子(しゅうじ)として受け継いで、数百年の時と数千キロの空間を越えて生まれ変わってきているかのようでもあります。
般若心経が目指したものは何か、少しだけ、考えてみようと思います。

(履歴)
2017.05.01 1-1から1-10, 2-1から2-3, 3-1から3-2を掲示
2018.04.10 1-11を追記

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1.般若心経を訳す
まずは、般若波羅蜜多心経(玄奘訳)と、その誦え方です。
観自在菩薩 かんじーざいぼーさー 行深般若波羅蜜多時 ぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー 照見五蘊皆空 しょうけんごーうんかいくう 度一切苦厄 どーいっさいくーやく 舎利子 しゃーりーしー 色不異空 しきふういーくう 空不異色 くうふーいーしき 色即是空 しきそくぜーくう 空即是色 くうそくぜーしき・・・Read More
般若心経を、漢訳の構造をできるだけ活かし、できるだけそのままの形で訳出しました。般若心経を段階的に理解していくための、まずは第一段階です。一般に、「空」という語は、「実体がない」「空っぽ」「有でも無でもない」などと訳されていますが、本来、空とは訳者によって解釈が分かれるような曖昧で幅のある概念ではなく、「ものに自性(じしょう)が欠如している」ことを指す、極めて意味の明確な言葉です。空の理解は、「空」=「自性を欠いていること」を知ることから始まります。本項においても、「空」はすべて、「自性を欠くもの」と訳しています。以下、読んでいただくとお分かりになるように、・・・Read More
・・・・西暦紀元前後の当時のインドの人々にとって、新興の大乗仏教徒から突然、「あらゆるものに自性はない」と言明されたことは、大きな衝撃だったに違いありません。ところが、現代に生きる私たちにとっては、「自性がある」とか「ない」とかいわれても、全くもってピンと来ません。そこで、般若心経によって当時のインドの人々が感じたような新鮮な驚きを、現代に生きる我々が少しでも感じることができるように、「もし、観音さまが現代に生まれ変わられて、現代の我々に新たに般若心経を説かれるとしたら、このようなものになるのではなかろうか」という仮定のもと、まさに、新たな『現代版 般若心経』を構想してみました。・・・Read More
空とは、一言で言うと、ものに自性(じしょう)が欠如していることです。それでは、「自性」とは、何でしょうか?自性とは、サンスクリット原典で「スヴァバーヴァ」といいます。スヴァバーヴァの漢訳が自性なのです。スヴァは「自分」、バーヴァは「存在」という意味で、スヴァバーヴァとは、「自分として存在すること」という意味です。「それ(自分)がそれ(自分)そのものであること」ということです。例えば、「その花は庭に咲いている花と同じ花だ」と言うときに、その花を別の花と同じ種類の花だと認識するための根拠となっているあり方のことです。或いは、「その花は昨日私が摘んだ花だ」と言うときに、その花と昨日の花とが同一の・・・Read More
大乗仏教が主張していることは、『縁(きっかけ)となって起こるものは自性《常にそれをそれであり続けさせているもの》を持たない(自性を欠いている)』ということです。「蒔かぬ種は生えぬ」ということわざがありますが、スイカの種を蒔けば、スイカの芽が生えてきます。種を蒔かなければ、芽が生えてくることはありません。私たちは、スイカの種が縁(きっかけ)となって、その結果、スイカの芽が生えてくる、と考えています。ところが、大乗仏教徒に言わせれば、縁(きっかけ)となるスイカの種は自性《常にそれをそれであり続けさせているもの》を持たない、ということになります。以下、順を追って説明します。・・・Read More
大乗仏教が主張していることは、『縁(きっかけ)となって起こるものは自性《常にそれをそれであり続けさせているもの》を持たない(自性を欠いている)』ということです。「蒔かぬ種は生えぬ」ということわざがありますが、スイカの種を蒔けば、スイカの芽が生えてきます。種を蒔かなければ、芽が生えてくることはありません。私たちは、スイカの種が縁(きっかけ)となって、その結果、スイカの芽が生えてくる、と考えています。ところが、大乗仏教徒に言わせれば、縁(きっかけ)となるスイカの種は自性《常にそれをそれであり続けさせているもの》を持たない、ということになります。以下、順を追って説明します。・・・Read More
般若心経では、「諸法空相 不生不滅」とされ、諸法(=すべての存在するもの)は、空(=《常にそれをそれであり続けさせているもの》を欠いている)という特性を有していることから、生ずることも滅することもない、と説かれています。もし、般若心経に記されているとおり、生起することも消滅することも存在しないとすると、諸行は無常でありこの世に永遠不変なるものは存在せず何事も生死流転するものだとする仏教の根本と矛盾する・・・Read More
ナーガールジュナ(龍樹)が説いた縁起について、もう少し説明します。・・・ところで、「物質」とは、何でしょうか。私たちは、普段、見たり触れたりできて質量があるものを物質といったりします。眼鏡や携帯電話や自転車など、スイカやトマトやりんごなど、石や砂や土などはすべて、私たちは物質と呼んでいます。それでは、「時計」は物質でしょうか。長針や短針があって文字盤があって、モーターがあって歯車があって、それ以外にもたくさんの部品があつまって、針の位置で時刻を表示する機能を持っている集合体があったとします。・・・Read More
ナーガールジュナ(龍樹)が説いた縁起について、さらに説明を続けます。否定の矛先は、論理にも、ことば自体にも向けられます。まさに、すべては空、というわけです。・・・壺というモノ(=実体)と、数が一つだとか、形が丸いとか、色が赤だとかいう性質(=属性)とは、同一であるか、別々であるかのどちらかであるはずです。もし、実体とその属性とが同一のものであると認めるならば、「赤い」という属性さえ持っていれば、(「壺」と「一つ」と「丸い」と「赤い」を同一と・・・Read More
仏教にける中道とは、有や無など、2つのものの対立を離れていることを意味します。それは、2つのものの中間ということではなく、一方的な見解に偏ることなく、両極端から離れ、矛盾対立を克服するということです。・・・Read More
これまで(項番1-1から1-10まで)は玄奘によって漢訳された「般若波羅蜜多心経」をベースにその意味内容を考えてきましたが、ここでは、漢訳の元となったサンスクリット原典テキストにまで遡って、その意味内容を考えてみます。
漢訳だけでは分かりにくいところも、サンスクリット原典にまで遡って一語一語対応する意味内容を考えていくと、インドで最初に大乗を名乗った仏教徒たちが何を示したかったのか、少しだけ分かった気になれます。・・・Read More
2.般若心経と秋元康氏
観音さまは、一切の苦厄を取り除いたあとに、いったい、どんな世界を見たのでしょうか。般若心経が説く「空」の目指すものとは、果たして、どんなものなのでしょうか。それでも、大乗仏教は「何も無い」というだけなのでしょうか。大乗仏教における「空」の思想は、紀元2~3世紀に活躍したナーガールジュナ(龍樹)によって確立されました。彼は、言葉で表現されるすべてのものの存在を否定し、私たちが住むこの世界は本来は空であり(=自性がない)、いかなる実体も存在しないと主張しました。私たちには有るように見えるこの世界は、私たちが目にした情報が言葉と結びつくことによって有るように見えている(=仮説されている)だけなのです。それでは、何もかもが「空」である(=自性がない)と言ってあらゆる存在を否定した龍樹ですが、その果てには、ただ「何ものも存在しない究極の無の世界」が広がっているということなのでしょうか。・・・Read More
・・・・つまり、釈迦は、「過去に執着せず、未来に煩わされず、ただ今を生きろ」と説いています。般若心経が、「空」を説くことによってすべての実在を否定した目的もまた、そのように、いかなる執着からも離れて今を生きる観音さまの姿を示すことことにありました。過去や将来のことばかり考え、今をおろそかにしてはいけません。過去の失敗にいくら悩んでも、私たちは、過去を変えることはできません。未来の成功をいくら願ったとしても、未来はまだ見ぬ幻想でしかありません。私たちに残されていることは、ただ今日なすべきことをなすことだけなのです。誰か明日の死のあることを知らん。昨日も今日も青空だったからといって、明日も青空になるとは限りません。この次の青空がいつなのか、私たちには分かりません。だからこそ私たちは、今、できることをやるのです。・・・Read More
・・・・私たち日本人にとって、昔から、なかでも「諸行無常」が最も身近で馴染みのある言葉です。平家物語も、源氏物語も、方丈記も、徒然草も、松下幸之助の生成発展の哲学も、みな、諸行無常がテーマです。「諸行」とはすべてのもの、「無常」とは常がない・移ろう・変わっていく・永遠はない・生あるものは必ず死にゆくもの・・・・ということです。「永遠なるもの」を求めてそこに美を感じる西洋人に対し、「移ろいゆくもの」にこそ美を感じる日本人の原点がそこにあります。しかも、私たち日本人にとって、「移ろいゆくもの」とは決して虚無へと向かう否定の繰り返しではなく、必ず、新たな「再生」をも含む現実世界への肯定を含意するものでした。・・・Read More
3.その他の記事
・般若心経は、そもそも、釈迦の教えなのでしょうか?
・般若心経は、果たして、釈迦の教えを”否定”しているのでしょうか?
まず、第一の疑問について、結論からいうと、「般若心経は、釈迦が直接説いたものではない」という答えになります。般若心経は大乗仏教の最初期に成立したとされておりますが、そもそも大乗仏教の運動が起こったのは釈迦が入滅してから約500年後のことであり、釈迦が直接説いたものでないことは明らかです。釈迦の十大弟子のひとりで智慧第一といわれたシャーリプトラが観自在菩薩から悟りの指南をうけるというきわめて特殊な場面設定は、原始仏教経典にはなく、般若心経を説く為に特別に用意された大乗仏教による創作です。・・・Read More
舎利礼文(しゃりらいもん)とは大乗仏教の経典類のひとつで、文字数は般若心経(262文字)の三分の一にも足りませんが、そのわずか72文字によって、見事に大乗の主旨を言い尽くしています。なお、舎利礼文は、インドの大乗経典には存在しません。唐の高僧であった不空三蔵(705-774)が作ったとも、五胡十六国時代の釈道安(314-385)が作ったともいわれており、日本では古くより、天台・真言・浄土・禅宗などで広く誦まれています。・・・Read More

(おまけ)その他のホームページ
日本人の多くがその功徳を信じて疑わない般若心経ですが、いったい、何を意味しているのか、何を目指しているのか、果たしてそれは釈迦の教えと同じものなのか、空とは何か、涅槃(ニルヴァーナ)とはどこにあるのか。少しだけ、考えてみました。 ・・・Read More
「百人一首を百首ぜんぶ覚えたい」そう思ったことがある人は、多いのではないでしょうか。 百人一首をはじめて覚えようとされる方に向けて、ゲーム感覚で覚えられるカード形式の暗記ツールをつくってみました。・・・Read More

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Ayat-Origami

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もともとは、あやとりと折り紙を紹介するつもりで開設したHPなので、このような名前になっています。日本人の多くがその功徳を信じて疑わない般若心経ですが、いったい、何を意味しているのか、何を目指しているのか、果たしてそれは釈迦の教えと同じものなのか、それとも異なるものなのか、空とは何か、涅槃(ニルヴァーナ)とはどこにあるのか。少しだけ、考えてみようと思います。
ところで、そもそも、宗教とは何か? 心の安らぎを説き、そこに至る道を示すことが、宗教の役割です。その道の示し方の違いが、宗教の違いとなります。ただ、世界の偉大な宗教はみな、キリスト教もイスラム教もヒンドゥー教も仏教も、登る道は異なっていても、すべて、同じ山を目指していると、私は思うのです。仏教を極め、その頂に登ることができたなら、その頂上には、別の道から登ってきて、やはりその道を極めたキリスト教やイスラム教やヒンドゥー教の人々が待っているかもしれません。

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