Ayat-Origami

3-1 般若心経はそもそも釈迦の教えなのか

・般若心経は、そもそも、釈迦の教えなのでしょうか?
・般若心経は、果たして、釈迦の教えを”否定”しているのでしょうか?
まず、第一の疑問について、結論からいうと、「般若心経は、釈迦が直接説いたものではない」という答えになります。
般若心経は大乗仏教の最初期に成立したとされておりますが、そもそも大乗仏教の運動が起こったのは釈迦が入滅してから約500年後のことであり、釈迦が直接説いたものでないことは明らかです。釈迦の十大弟子のひとりで智慧第一といわれたシャーリプトラが観自在菩薩から悟りの指南をうけるというきわめて特殊な場面設定は、原始仏教経典にはなく、般若心経を説く為に特別に用意された大乗仏教による創作です。

次に、第二の疑問について、五蘊から四諦に至るまで初期仏教の根本概念をことごとく「無」と言ってしまう般若心経ですが、果たしてこの経典は、釈迦の教えを”否定”しているのでしょうか、それとも”肯定”しているのでしょうか。
結論は、「般若心経の解釈いかんで、”否定”にも”肯定”にもなりうる」というのが答えです。正確には、肯定的な立場と、否定的な立場と、どちらの立場を強調するかの違いといえます。
つまり、「諸法(=ダルマ)の実有を認めた部派仏教(=アビダルマ仏教)を否定して改めて釈迦本来の教えに戻った(釈迦の教えそのものを否定しているわけではなく釈迦の教えから離れてしまった部派仏教を否定している)」という立場を強調するのか、それとも、「釈迦の教えを踏まえつつもそれを超える更なる発展を宣言した(諸仏の教えを突き詰めればこういうものになるとその発展形を示した)」という立場を強調するのか、という違いです。本項の最後に、現代の有名な仏教学者・先生方による代表的な解釈を引用させていただきました。

般若心経は、日本ではさまざまな宗派で誦えられ、それぞれの宗派ごとに独自の解釈が行われてきました。その宗派における解釈はその開祖の教えとも密接に関わっていることも多いため、解釈が正しいとか正しくないとか、軽々しく言ってはいけません。
釈迦は、「めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見をいだいて争い、みずから真理への熟達者であると称して、さまざまに論ずる」ひと達のことを不完全な人(=愚者,=真理に達していない人)と呼び、無益な論争を諌めました。
仏教の本質は、「永遠の理法を探求する(=真の人間の生きる道を求める)こと」「心を清める(=あらゆる執着から離れる)こと」「慈悲の心を持つ(=生類を慈しみ共に悲しむ)こと」の3つです。これら3つのことが仏教用語を使用して語られていれば、それは仏教になります。大乗仏教では、これらをそれぞれ、「信」「行」「大悲」と呼びました。
部派仏教は、出家して戒律を守り、釈迦の教えを忠実に実践することによって、自らも悟りを開いて阿羅漢になることを目指しました。大乗仏教は、悟りを開く前から利他行を実践することによって釈迦と同じ境地を体得し、釈迦と同じ仏になることを目指しました。どちらも悟りの境地を目指すことに変わりはありません。

宮坂宥洪 新釈般若心経 (2004). 角川文庫 pp.169

『般若心経』は四諦八正道を否定しているのではありません。もしそうなら、釈尊の初転法輪を否定してしまうことになります。むろん十二縁起も否定されていません。これを否定してしまえば、釈尊の成道を否定することになってしまいます。
釈尊の成道と初転法輪を否定する経典がいったいどこにあるでしょう。それにもかかわらず、『般若心経』は、それを小乗の教えだからと見下し、空の立場から、なにごとにもこだわってはいけない、と説く経だと解説する方々が後を絶たないのは憂うべきことです。『般若心経が否定しているのは、あくまでもダルマの実在性、それだけなのです。
観自在菩薩のレベルの観点を無視して、世間のレベルで『般若心経』を解釈すると、あろうことか開祖の教えを否定してしまうことになってしまう。その冒涜に気がつかないのは無明のフロアのなせるわざとしか言いようがありません。

佐々木閑 NHK100分de名著ブックス般若心経 (2014). NHK出版 pp.7

今、巷(ちまた)を見回すと『般若心経』の解説本が山のように出回っています。どれもイラストや図解をふんだんに使ってわかりやすく説明していて感心するのですが、何かしらしっくりこない、肝心なことに触れていないという思いが湧いてきます。そのもどかしさを解消して、たとえ今までのイメージとは違ったものではあっても、『般若心経』の本当の意味をお伝えしなければならないと思っているのです。
たとえば、「『般若心経』というお経は、誰の教えでしょうか?」と問えば、おそらく多くの方が「それは仏教なのだから、お釈迦様、つまりブッダの教えでしょう」とお答えになると思います。「『般若心経』こそが釈迦の教えのエッセンスである」などという言葉もよく聞きます。しかしそれは違います。『般若心経』の作者は、釈迦の死から五百年以上たって現れた「大乗仏教」という新しい宗教運動を信奉する人たちの中にいます。それがどういう人なのかは全くわかっていません。その大乗仏教という宗教運動には様々な流派があったのですが、そのうちの一派が、釈迦の教えを部分的に受け継ぎながらも、そこに全く別の解釈を加えて「般若経」(はんにゃぎょう)と呼ばれる一連のお経を作りました。何百年もの間に、「般若経」という名のついたたくさんの新しいお経を作ったのです。そして『般若心経』は、そのたくさん作られた「般若経」の一つです。ですから、『般若心経』が述べていることは必ずしも釈迦の考えではありません。それはむしろ、「釈迦の時代の教えを否定することによって、釈迦を超えようとしている経典」なのです。